ライターを目指す女性たちを支援。
未知の世界との出会いが私にもたらしたもの
地域情報紙『リビング新聞』の編集長を長年務め、ライターを育成する講座『LETS』を開設して、13年にわたり運営と指導をしてきた外山由紀代さん。現在は、銀座で文化を楽しむ大人のための講座やイベントを企画運営する事業に携わっています。ライターを目指す女性たちの情熱と葛藤に寄り添い続けた日々は、想像を超えた未知の世界だったといいます。その先にあったものとは?
社内起業で「女性ライターを育成しよう!」
外山さんは、子育てが一段落した35歳のとき、地域情報紙『リビング新聞』(サンケイリビング新聞社)の編集部員に応募。気軽なパートで始めたところ、現場は人手不足ですぐにフルタイムへ。常に積極的に企画を提案し、効率重視の仕事ぶりが認められ、3年で編集長に抜擢されました。その後、20年以上トップを務めた中で、他社の編集仲間との話題はいつも「いいライター、いない?」。ライターの原稿を編集部員が深夜まで書き直すこともあり、そうした状況に虚しさを抱えていたとき。
「ならば、お金をいただいて教えればいいのでは? どうしても書きたい人には、一歩踏み出せるようなしくみを作ればいい。そういうスクールを自分たちで作ればライター探しに困らない」
社内外の数人の編集長との集まりで、会社に提案する話が持ち上がっていた2004年ごろ、タイミングよく社内起業家の募集があり、同僚の赤井久美子さんと案を作り、応募しました。すると、選抜された5案の一つに選ばれ、MBA(経営学修士号)研修を費用会社負担で受ける機会を得ます。中途採用の女性契約社員としては異例のことでした。
「1カ月に1回、1週間の合宿があり、朝8時から夕方5時まで研修、夕食後も8時からミーティング。さらに大量の課題が出され、隙間時間を見つけて取り組みました。みんな現役の社員で、深夜帰宅も多い通常業務をこなしながらの1年間。本当に大変だったけれど貴重な学びの機会になりました」
社内起業のプレゼンでは、「利益をどう出し続けるのか」と何度もダメ出しを受けます。上層部の返事は「無理」ではなく、「考え直し」だったことに希望を抱き、そのたび企画を練り直しました。そして最後となる4回目のプレゼン、ついに外山さんは覚悟を決めて訴えました。
「普通の編集長以上に多くの仕事で会社に貢献してきました。読者の気持ちを知りつくした私たちに、やらせてください!」
すると、
「この二人がここまで言っているのだから、やらせてやろうじゃないか」
時の社長の一声で、「女性のためのライター講座」の案が通ったのは、2006年のことでした。
女性支援と育成への信念。確信した集客
「当時はまだまだ、男性には開かれている門戸も、女性にとっては狭き門。だから先達や助けが必要と考えて女性のための講座にしました。事前リサーチや日頃の取材などから、書くのが好き、作文が得意、『夢は作家』という女性が多い傾向も感じていました。受講料が高いと集客を疑問視する声も社内にありましたが、私たちには有能なライターを育てるという信念と、希望者は絶対に集まるという確信がありました」
最初の立案から足掛け3年、ようやく漕ぎ着けた2007年2月の有料の説明会には、300人もの参加希望があり、受講応募者は130人もいました。会場や運営を考えて、26人を選抜しました。
講座の期間は1年間、教室での講義を2週間に1回、合計24回のカリキュラムです。
「受講料は、『主婦が夫に言わずに出せる金額は半年間で5万円』という当時の調査結果から、前期6万円、後期は制作物の費用を含んだ9万円に設定しました。当時は通信教育の継続率が低い傾向もあり、講師や受講生同士の交流を深めるためにも対面での授業にこだわりました」
現役の編集現場のプロから学んでもらおうと、外山さんは講師経験がない人にも声をかけました。中でも特に印象的だったのは、月刊誌編集長だった赤羽博之さん。自らを「校正の鬼」と称し、未経験だった講師業に「天職に出会えた」というほどのめり込んで、のちに年間150回以上の講座を務める人気講師へと転身を遂げました。
専業主婦が多かった受講生が震災をきっかけに変化
2007年 4月。女性のためのライター講座「 LETS(Living Editors Training System)」がついに開講しました。受講生の平均年齢は 38.8歳、パートも含め 20〜 40代の専業主婦がほとんど。
「結婚して仕事を辞めてしまった人など、 20代が多かったのは驚き」 (外山さん )でしたが、毎年定員を上まわる応募があり、講座は人気を博します。
ところが、数年経つと応募が減りはじめ、定員に満たない期も出てきました。いよいよテコ入れが必要だと考えていた 2011年3月、東日本大震災が起きたのです。その年は応募が急増しました。
「人生の不確実さを再認識して、『やりたいことは、今やらねば』と自己実現に目覚めた人たち、その熱い思いに私たちも定員枠を増やして対応しました」
特に、長年積み上げたキャリアを捨てて、転身を試みる女性が目立ったといいます。このときを境に応募数が回復に転じ、受講生は専業主婦よりも働く人が増えていきました。
仕事で活躍する輝きと、女性や主婦が抱える影
講座を巣立ったあと、多方面で活躍する修了生たちがたくさんいます。受講後すぐに、地域の女性支援室に「ママたちのライター教室」を提案した人をはじめ、積極性や行動力がさらに次の仕事へとつながっていく人たちの姿は印象に残るようです。
学び始めた途端に、知人のためにチラシを作った女性は、口コミで広まり、スーパーのチラシを頼まれるように。能力以上の仕事を多く受けて、失敗も出てきたときには、サポートしていた外山さんも叱ったと言います。また、修了制作の冊子で、トップ記事のインタビューに抜擢された女性も、忘れられない一人。
「受講中いい文章を書いていたのですが、そのときの原稿は今ひとつ。何度も書き直させたけどダメ。カメラマンとして一緒に取材した受講生に書かせたら、そちらが採用されて、とても悔しがっていました」
その彼女は「これからは絶対完璧な原稿を書く!」と心に誓い、あっという間に夫の収入を超える、稼ぐライターに成長。現在は、後輩の修了生に仕事を発注する編集者になっています。
たくさんの涙も見てきました。
カリキュラムのひとつである模擬編集会議で、自分の意見が通らず、ずっと泣き続けていた人。8回も原稿を書き直し、限界を感じて自らライターへの転職を諦めた人。受講途中に、妊娠や夫の転勤があり、続けることを断念した人たち。女性や主婦だからこその悔しさや迷い、ずっと抱えたまま表に出せなかった葛藤。そんな受講生たちの思いが、外山さんの胸に深く刻まれていきました。
誰にも打ち明けられずにいた「何か」を受け止めて
当初はライターとしてのスキル習得を重視していた外山さんですが、自由に書かせることや一緒にお茶を飲んだり遊んだりする中で育つマインド部分も大事だと、講座の内容は変化していきました。
そして、外山さんや講師たちは、仕事の紹介も含め多くのアドバイスやヒントを提供しましたが、それはあくまでも提案。本人の積極性を尊重しました。
「LETSは自分の頭で考えて、自分の足で踏み出すための基本を学ぶだけのところ。それをどう肉付けしていくかは自分次第です。そして、修了生には『ここを実家だと思ってください』と言ってきました。講師と修了生という緩い繋がりの中で、相談にのったり、調べたり助けたりする最後の砦のような存在です」
見守り続けている外山さんのもとに、ときおり修了生から長い手紙が届きました。ライターとは関係ない、切実な内容が綴られていることも。そんなときは、「誰にも打ち明けられなかった何か」をひっそりと受け止め、胸にしまい込んだといいます。
「私は淡々と仕事をして、『やってダメならすぐ方向転換』と切り替えて生きてきました。だから、悩みを聞いてあげたりするのは、本当は一番苦手なこと。でも、LETSではそうせざるをえなかった」
講座中に思いが込み上げて泣いてしまう人に戸惑い、すぐに諦める人に苛立ちを覚えたことも少なくありません。一方で、突っ走る人を支え、悔しさをバネに鼓舞する人にエールを送り、本人も気づかぬ才能を発掘し、たくさんの成長を見届けてきました。それは外山さんにとって、情報紙編集者として過ごす日々とは全く違う、驚きと感動の連続。想像を超えた未知の世界に出会う機会となったのです。
外山さんには、ずっと心に残っている言葉があります。
「MBA研修の講師に『新しい事業を始めたら終わりはない。商品ではなく、人を集めて満足するものを提供する場合は死ぬまでやるものだ』と言われたこと。そして『実家と思って』という自分の発言。開講3年目に赤井が病気で亡くなったときでさえ、辞めたいとは思ったことはありませんでした」
引退など考えもせず駆け抜けてきて、この先も長く続けるものと思っていた外山さんでしたが、
経営本体の組織変革を受けて、2019年暮れに『LETS』の進退を迫られます。そして、翌2020年3月、外山さん72歳。年齢と業績を考えて、13年間にわたり500人以上の修了生を輩出してきた事業の幕を引きました。
伝達者、企画者、コネクターとして。人の笑顔が私の喜び
「人に伝える仕事を楽しんでいる元受講生の活躍を聞くのは、本当にうれしいですね。自分が面白い、もっと知りたい、伝えたい気持ちがあってこそ、情報発信の仕事を楽しめるのですから。情報をいち早く読者に伝える伝達者、面白い企画を考え体験する企画者、人と仕事を繋ぐコネクター。それがずっと変わらない私の本質です。人の笑顔を自分の喜びとする私を、どうぞ役立てて!と思います」
10年を迎えた文化を楽しむ大人のための講座「Ginza楽学倶楽部」の企画では、これから世に知られる潜在能力がある講師へ機会を提供し、60代以上のアクティブ・シニアの応援も始めました。そんな外山さんの今の夢は?
「実は、小学6年生のときから抱いている夢があります。それは日本では知られていないオランダの作家ダウエス・デッケルの生涯を紹介すること。48歳のとき、今は亡き上司が、私の夢を理解してくれて、特別長期休暇をとってオランダへの調査旅行が叶いました。本国では子どもが学校で習うほど有名な人物なのに、なぜ埋もれているのか。これからようやく手がつけられる状況になりました」
事務所の大きなガラス窓から、歌舞伎座を眺める外山さん。その瞳には、半世紀も消えることのない少女の夢、そして人に伝えたいという情熱が映っているようでした。
撮影/高井太志・高井紀子
外山由紀代(そとやま ゆきよ)
「 Lets Grace&Ginza楽学倶楽部」主宰、外山事務所代表。
北海道出身。大学入学のため上京。卒業後結婚、出産し専業主婦へ。 35歳で『リビング新聞』(サンケイリビング新聞社)編集部員に。地域版、首都圏編集長など情報紙編集長歴 20年以上。 2007年より 13年にわたり、リビング新聞グループのライター・エディター養成講座「 LETS」の代表、講師として 500人以上の受講生を指導。 2013年から東銀座の「 GINZA楽学倶楽部」運営代表。いつも一次情報を探す好奇心を忘れない。
Lets Grace&Ginza楽学倶楽部 https://lets-grace.com