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クリニックに併設した「にじいろらぼ」で
出会い、つながり、広がる世界を楽しんでいく。

 



 

韓国料理店やコスメショップが並ぶ、東京・新大久保。賑やかな駅前通りから、1本路地に入ると、そこは静かな住宅地。
小児科医の樋口麻子さん(53歳)は、2022年に「新大久保にじいろおやこクリニック」を開院、同時に親子がいっしょに過ごせる「caféspaceにじいろらぼ」を立ち上げました。3年が経過した今年、「自分自身が楽しむ場」に方向転換。コンサートや勉強会の開催、バータイムを設けるなど、大人が集う現代の「たまり場」に。医師であり、3人の子どもの母である樋口さんが思い描く夢とは。

 

 

勤務医を続けるつもりが、未来のビジョンを見てしまった

 
「祖父と両親が医師という家庭で育ちました。幼い頃の私は病弱で、常に忙しい両親は子育ても大変だったと思います。私は血を見るのが苦手で、医師になるつもりは全くなく、勉強もしていませんでした」

高校3年生のある日、自宅にいた父親に病院から電話がかかってきました。

「私が知っているいつもの父とは違って見えたのです。相手に寄り添う雰囲気で話していて、その背中を見て、不思議な気持ちが湧いてきて、『あ、医師になろう』と思ったのです」

それから猛勉強して大学の医学部へ。診療科は「子どもが好きだから」と小児科を選びました。数年後、医師と結婚し、妊娠。妊娠高血圧症候群にかかり、「1カ月間の記憶がないほど」つらい状態が続きました。フルタイムで働くのを諦め、退職。長男の誕生後、長女、次男と子どもに恵まれますが、保育園や学童保育などがあり、時間のやりくりに苦悩しました。

3人の子どもが小学校に通った期間は14年間。長男が学校では自分を出せずに我慢していると感じて、放課後に自由に遊べるプレパークを利用しました」

それが縁で運営ボランティアを10年ほど務めたそう。育児を優先し、診察は予約制の専門外来を月1、2回だけ担当することに。子どもの成長に合わせて「少しずつ仕事の時間を増やしていった」と振り返ります。
 

 
ある日、心理学に関するセミナーを受講し、未来のビジョンを描くワークを体験した樋口さん。目をつむり、何の制限もなくやりたいことを思い浮かべると⋯⋯。

「大小のテーブルにカウンターがある空間で、親子が思い思いにくつろいでいる。その向こうにはコーヒーを淹れている自分の姿。なんじゃこりゃ?! 私はこれがやりたいの?と自分でも驚きました。それが『にじいろらぼ』だったんです」

「一生涯、勤務医のつもりだった」という樋口さんでしたが、「毎日忙しく、育児の悩みを一人で抱え込みがちなママがリラックスできる場、子どもをみんなで育む場を作りたい」という思いが募ります。クリニックの2階に併設できると思いつき、開院を決意します。

準備を進め、2022年に「新大久保にじいろおやこクリニック」、2階に「caféspaceにじいろらぼ」をオープン。しかし、新型コロナ禍と重なり、患者は毎日ほんの数名。PCR検査に対応したことで、ネット検索の上位に表示され、「大人しか来院しない」状態に。やがてコロナが落ち着くと、赤ちゃんの予防接種や健診などが増え、親子であふれるようになりました。地域柄、外国人の親子も多いといいます。

そして、診療の限られた時間とは別に、悩みや不安を相談できるように、週1回の個別カウンセリングを開始しました(現在は月1回)。





無条件の愛とは? 子どもたちに教えられる日々

 
「私の子育ても、まあまあいろいろありました」と樋口さん。

長女が中学生のときに体調を崩したことは、子どもと向き合う転機になったそうです。

「医師として体調に気を配ること、そして、とにかく彼女の気持ちに寄り添いました。人は存在するだけで素晴らしいのに、どこかで◯◯ができるからいい、と考えていたことを思い知らされました」

現在、高校生の次男はマイペースな性格。小学6年生の頃から体調不良で学校を休むことが増え、樋口さんは内心穏やかではありませんでした。しかし、見守ることに徹しました。

「彼が中学1年生のとき、クリニックを開業しました。仕事を終えて帰宅すると『お母さん、疲れたから足をマッサージして』と言われて。疲れているのはこっちなのに(苦笑)。でも、彼なりにがんばっていること、気持ちを言葉で表現できたのだと受け取り、マッサージしました。満足したようで、数日すると言わなくなりました。子どもは自分が大事にされていることを感じたいのです。無条件に愛されている、と」

この時期に「親子のスキンシップを持てたのは良かった」と振り返る樋口さん。そして「なにも条件をつけない“無条件の愛”の意味がやっとわかりました。今も子どもたちから教えられる日々です」としみじみと語ります。
 



人と出会い、つながる。「にじいろらぼ」を通過点に

 
最近の樋口さんの朝は、クッキー作りから始まります。にじいろらぼでクッキー生地をこね、型を抜いて、オーブンへ。焼き上がるまでの時間、コーヒーを淹れて味わうのが楽しみだと言います。

「ここは親子のためにオープンしましたが、ママやパパが忙しいこともあり、それほど活用されませんでした。ならば、自分が好きなことをしようと方向転換。誰かのためから、自分のために主軸を移しました。自分を大事にするから他人を大事にできる。『ママがホッとできる場所』の意味を拡大した感じです」

まずは子どもの頃に習っていたピアノを再開し、「1年後に発表会をする」と宣言。


「有言実行で自分を追い込みました。それから、どうしたら実現できるか考える。20年来続けているゴスペルでヴォイスレッスンを受けていたのをピアノのレッスンに変更、どこでも練習できるように鍵盤の絵を持ち歩き、指を置いてイメージトレーニングするなど、練習方法を工夫しました。そして、1年後の3月に見事、9曲の演奏を披露しました」


                         写真提供:にじいろらぼ 
                   

にじいろらぼでは、ウクレレ教室、劇団員のメンバーが開催する紙芝居、大人のための本の読み聞かせなど、さまざまなイベントが行われています。また、樋口さんの学んできた医療や心理学、育児の知識を還元する勉強会なども実施。ここで出会う人も増えています。
新しい人とのつながりが生まれ

「人と人とのつながりが生まれる場を作れたと思います。ここで出会ったり、すれ違ったり、通過点のような場になればと願っています」

樋口さんの活動は野外にも広がっています。憧れていたサーフィンにトライし、この夏、江の島に通い始めて1年が経ちました。

「この年で、と思う気持ちがあったのですが、白髪の男性が波に乗る様子を見て、年齢は関係ないとチャレンジ。昨年、同級生が病気で亡くなったことも、時間を意識するきっかけになりました」
 
大人が好きなことに夢中になる。誰かがその姿を見て、気持ちが動き、行動が変わる。高校3年生の樋口さんのように、大切なものを感じる瞬間になるかもしれません。




 

引退後のキャリアを考える。冒険者として旗を振る役割

 
「今の夢は、クリニックを15年後に終了し、68歳で引退すること。その後のキャリアは、保育者向けのティーチャーズ・トレーニングを全国に広げることです。ティーチャーズ・トレーニングは子どもの発達の偏りを支援する保育者向けの活動で、子どもへの対応の仕方を知ると子どもの混乱が減り、保育者にも心の余裕が生まれます。まずは地域で普及させて、それを全国に広げていきたいですね」
 
医師や心理師としての専門性、自身の経験、数多くの親子や人々とのつながり。これらが重なり合って、さらに新しい出会いと共鳴が生まれていく。その先に多くの笑顔が見えるようです。
 
「私は冒険者として、先を走って、転んだり傷ついたりしながら『こっちだよ!』と旗を振る役割かも。そのためには私が突き抜けないとね」。そう言った樋口さんの表情に気負いはなく、すべてを受け入れる覚悟と深いやさしさを感じました。

 

 
 



取材・文/高井紀子
写真/高井太志

 
 
 
 

【プロフィール】

樋口麻子 (ひぐちあさこ)
 
小児科専門医、公認心理師。
東京都生まれ。名古屋市立大学医学部卒業後、慶應義塾大学病院小児科学教室へ入室。都立清瀬小児病院新生児科・内分泌代謝科などを経て、 2000年より公立福生病院内分泌代謝外来担当。 20224月「新大久保にじいろおやこクリニック」開院。日本小児科学会認定小児科専門医。低身長・思春期早発や遅発、甲状腺・糖尿病などの疾患を治療する内分泌代謝科を専門とする。二男一女の母。ピアノやウクレレ演奏、着付け、サーフィンなど多趣味。

 



新大久保にじいろおやこクリニック: https://shinokubonijiirooyakoclinic.com
Café& space にじろらぼ: https://nijiirospace.com
Instagram: https://www.instagram.com/nijiirolabo/

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